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  • 2019.10.08 Tuesday

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    note での投稿を始めた。

    • 2019.10.08 Tuesday
    • 09:57

    先月の 911, 自分の59回目の誕生日に、新たに note に登録し、note での投稿を開始した。これまでに投稿したのは 6本。

     

    note の使い方については現時点で完全ど素人、「いいね」(note では「スキ」という)やフォロワーはまだ少ないが、徐々に活発に投稿していきたいと思っている。

     

    note の自分のページは こちら

    url は https://note.mu/dailyrock 

    クロード・イーザリーと広島 「良心の立入禁止区域」とは

    • 2019.08.13 Tuesday
    • 16:13

    JUGEMテーマ:ヒロシマ・ナガサキ

    ちょうど 1週間前の 8月6日は、広島にアメリカ軍が原子爆弾を落としてから 74周年を迎える記念日だった。人類史上初めて、実戦において非武装の市民を標的として核兵器が使われた日である。

     

    この機会に、今から約14年ほど前に自分のホームページの日記に掲載した文章を、当時の原文のまま載せておく。

     

    2005年 8月15日(月) 帰省の旅

    … 

    田舎の家で2泊3日過ごし、昨日14日にこっちに戻った。途中、東京は神田、神保町の書店街を歩き、『ヒロシマわが罪と罰 -原爆パイロットの苦悩の手紙』(ヒロシマ原爆の戦闘機群のパイロットであるクロード・イーザリーと哲学者ギュンター・アンダースの往復書簡)を探す。地元の書店やアマゾンで既に品切れ・在庫切れを知っていたものの、神田の書店街なら何とかと思い、探す。しかしナカナカみつからず、とりあえず断念。書店街の中に天婦羅屋をみつけ、夕食食べて上野に出て南東北(?)の我が家に向かった。

    … 

     

    2005年 8月15日(月) クロード・イーザリーのこと ー Claude Eatherly

     

    … で、その本が手に入らない クロード・イーザリーのことを書いておきたい。

    クロード・イーザリーのことは、今月、8月 7日放映のNHKの番組で知った。あまりじっくり観れなかったが貴重な情報を得た。地上波だったかBSだったか、兎に角たしかNHKだったはず。ついでに言うとナンヤカヤでNHKに文句はあるが、しかしこういう貴重な番組や一方で民放をほとんど占拠する劣悪番組を考えると、やはり時に視聴率「のみ」ではなさそうなNHK的在り方も貴重には思うのであります。・・・はて、主題はNHKのことなんかじゃない。

    その番組で知ったクロード・イーザリーという人のこと。その数奇な後半生。

     

    広島に原爆を落とした戦闘機エノラ・ゲイのパイロットが「自分は任務を果たしたまで。戦争を早く終わらせることができてよかった」と言っていること、今年だっけ去年だっけ、アメリカのスミソニアンの博物館がエノラ・ゲイと共に広島の被害を展示しようとしたら、アメリカの退役軍人会から猛反発にあって広島の被害は一切展示できなかった、結果その博物館の館長は辞任した、ということ。番組で紹介された、この辺りまでは、僕も以前から知ってる。

    当時、広島に原爆を落としたエノラ・ゲイを中心とする戦闘機の一団の中で、気象確認を担当し原爆投下に適切な天候かどうかをチェックしてエノラ・ゲイに「投下可能」を連絡する任務を果たした戦闘機のパイロット、クロード・イーザリーという人が、その後、自分がコミットした巨大な殺戮に悩み、個人が果たすべき良心を社会に押し付けることはできないという考えを世に明らかにしたこと、そのことでイーザリーは周囲から孤立し、(驚くべきことに)精神病院に入れられてしまった、という事実を初めて知った。

    番組によれば、このイーザリーという人と、ナチスにより友人の全てを殺された経験を持つユダヤ人哲学者(ドイツ )ギュンター・アンダースが、十数回の往復書簡を交わしているそうだ。

    ギュンター・アンダースは、当時アメリカのケネディ大統領に書簡を送り、「イーザリーの精神は正常であって、周囲の人間こそ精神に異常をきたしている側である」として、イーザリーを精神病院から出すよう訴えた。しかし、結局イーザリーは、精神病院の中で生涯を終えたということだった。

    僕はこの話にひどく心を打たれた。不意打ちされたような 感動を覚えて、ネットで検索したり、地元の書店で調べてもらったりしたけれど、彼等の往復書簡を公開した書籍の 翻訳書は折角1980年代に日本でも発行されていたのに、それに文庫本化もしていたのに、どうも今は大抵の書店 で在庫切れ、出版元のちくまさんでも品切れ状態。僕は今日ね、もう筑摩さんにメールしましたよ、復刊してくださいなってね。頼みます。

    ぜんぜんレベルというか、扱う領域は違うようでいて、でもけっこう共通してる部分もあるのかな、とにかく僕は、このクロード・イーザリーの逸話で、ポール・サイモンのS&G時代の曲「とても変わった男」まで想い出してしまった。

    ・・・その歌の最後は、「だけど彼は本当は最も変わった 男なんかじゃなかったんじゃないか」(Wasn't he a most peculiar man?)・・・で終わってる。

    クロード・イーザリーは、自分がやったことは巨大な殺戮につながり、巨大な罪を犯したことになるのに、(アメリカひいては国際?)社会から何の制裁も加えられないことに疑問を抱き、そのことを公言しつつ、しかしそのことに注視しようとしない周囲から孤立し、精神病院に入れられ てしまった。いったい、どっちが正常でどっちが異常なのか。

    イーザリーは、1945年8月6日8時15分、原爆搭載機エノラ・ゲイ号の先導機としてのストレート・フラッシュ号に搭乗、気象観測と原爆投下が気象状況上可能かどうかの判断という役割を担い、エノラ ・ゲイに「準備完了」「投下可能」を連絡した。

    彼はアメリカ国家とアメリカ社会から英雄視されるが、当のイーザリー自身は巨大な殺戮行為の影に怯え、自らの罪に悩み苦しむ。しかし、罪を意識するにもかかわらず、国家や社会は彼に罰を与えない。イーザリーは、社会が自らに罰を与えるべく、郵便局を襲って強盗するという挙にまで出る。

    しかし、彼が罰を求め罰を受けるに値すると考えた行為が「ヒロシマ」に関わることである以上、その彼の罪は、彼を含む一団に原爆投下を命令し、そのうえ彼を英雄に仕立 て上げているアメリカの国家の罪に行き当たることになる。結局、イーザリーは英雄の役を降ろされ、精神病患者の役を演じさせられる。彼は決して演じていないが、国家が、社会が、彼の周囲が、彼にその役割を押し付けたのだと僕は思う。

    イーザリーは、精神病院に強制的に入院させられ、隔離収容されてしまった。

    経緯は僕は知らないが(番組でその経緯の詳細も紹介されたとしたら僕は見逃し聞き逃している、僕はあまりじっくり観れないまま不意打ちのような感動で記憶に残しているに過ぎないから)、ドイツの哲学者、ギュンター・アンダ ース(ドイツ語の発音ではアンデルスかも)が、このクロ ード・イーザリーと往復書簡を交わしている。この哲学者 はユダヤ人で、友人の全てをナチスに殺されてしまったような凄惨な過去を持つ人だった。

    いくらか、ウェブで調べました。ギュンター・アンダース はイーザリーへの書簡の中で、「あなたの後悔は間違っていない」「今後も良心の立入禁止区域を作らないように」と言っているそうだ。彼は、第二次世界大戦以降、人々が「良心の立入禁止区域」を作り、自らが良心の呵責を感じないまま巨大な殺戮、虐殺のシステムの歯車や部品になってしまう社会になってしまったと述べている。

    「良心の立入禁止区域」とは、文字通り、良心が立ち入ることができない、良心の呵責のないままに罪ある行為を行なってしまうエリアを示しているようです。僕が探している、『ヒロシマわが罪と罰 -原爆パイロットの苦悩の手紙』という翻訳書の原書の書名が、どうも『良心の立入禁止区域』というらしいってこともウェブで情報を得た。この本、読みたい。読みたいよなぁ。何とかならんかなぁと思い、筑摩書房にメールもしましたが、はて。


    さて、このイーザリーの逸話を知ったNHKの番組ですが 、その同じ番組だったと思うけど、ヒロシマの記念式典の模様が韓国のテレビでどんなふうに報道されているかも紹介されていた。

    韓国のアナウンサーは、こう言っていた。「ここでは、日本は被害者に見えます」。
    この言葉はもちろん韓国側からの悲しい皮肉である。

    日本は、結局、日本人、日本社会の自らの手で戦争のはじ まり(それはもちろん太平洋戦争だけでなく中国との十五年戦争、韓国や台湾の植民地化に遡っていく)から終わり 、そして敗戦後も含め、その真相を究明していないし、自らの手による総括をしていない。戦勝国から裁かれ、そして巨大な被害を与えたアジア諸国からの指弾が続けば「反 省」の言葉を述べ、しかし真に深い洞察と反省を行動で示したことなどないから、いつまでもいつまでも中国や韓国 が日本を裁こうとする。日本はそれを理不尽だとし、元々「東京裁判」は戦勝国が敗戦国を裁いただけのものだとして正当性に疑問を投げかけまでし(もちろん「ヒロシマ」「ナガサキ」の原爆投下や東京、ドレスデンをはじめとする数々の都市への無差別大空襲による殺戮行為・戦争犯罪 が戦勝国アメリカによるものというだけで裁かれていないのは不当に違いない)、そして堂々巡りを繰り返している

    日本国は、そして日本人の多くは、例えば、「靖国」の意味さえ問い切れず、いや問おうとせず、日本の伝統だとウソぶいて(もちろん靖国は日本の伝統ではない http:// dailyrock.konjiki.jp/ nikki.html#yasukuni )

    過去を振り返ろうともせず、現在を見つめようともしない 。日本の国家や社会、大衆が振り返る日本の近代は、きわめて表層的だ。

    「良心の立入禁止区域」という言葉は深い。良心が機能せ ず、それでいて巨大な殺戮や虐殺の「システム」の部品になってしまう、そんなエリア。そこがそういうエリアである以上、そんなエリアに立ち入ってしまったら、あるいは立ち入らされてしまったら、その時は手遅れになりかねない。クロード・イーザリーの問いかけに(彼は社会に向かって問いかけようとしたのか、最後まで自分自身の罪に直面していたのかもしれないが)、ギュンター・アンダーのイーザリーへの働きかけに、僕は不意打ちをくらわされたような感動を覚えた。 http:// dailyrock.konjiki.jp/ nikki55.html#attitude 
     

    .......................................

    以下は、2017年7月11日に、Facebook に投稿したもの。


    "Günther Anders and Claude Eatherly, Burning Conscience: The case of the Hiroshima Pilot, Claude Eatherly, told in his letters to Günther Anders" (1961)

    これが、『ヒロシマわが罪と罰 -原爆パイロットの苦悩の手紙』という翻訳書の原書ではないかと。以前ウェブで原書タイトルは 『良心の立入禁止区域』というらしいって情報を得てたんだけど、『焼かれた(燃えている?) 良心』って原題もいいが、それはそれでわりといい意訳だったんだと思う。

    ギュンター・アンダース(ドイツ語発音はアンデルスかも) は友人の全てをナチスに殺された悲惨な過去を持つドイツのユダヤ人哲学者。

    クロード・イーザリーについては直前投稿の通り、「広島に原爆を落としたエノラ・ゲイを中心とする戦闘機の一団の中で、気象確認を担当し原爆投下に適切な天候かどうかをチェックしてエノラ・ゲイに『投下可能』を連絡する任務を果たした戦闘機のパイロット」で、「その後、自分がコミットした巨大な殺戮に悩み、個人が果たすべき良心を社会に押し付けることはできないという考えを世に明らかにしたこと、そのことで」「周囲から孤立し、(驚くべきことに)精神病院に入れられてしまった」(全くとんでもないことするぜあの国は、嗚呼『カッコーの巣の上で』).. 人間 human being です。

    http://www.history.ucsb.edu/faculty/marcuse/projects/anders/Anders1962BurningConscienceEatherlyOCR.pdf

     

    ガリレオ・ガリレイ その attitude

    • 2019.07.20 Saturday
    • 15:03

    JUGEMテーマ:宗教

    6日前のブログの続き。

     

    で、またまた、昔々、15年半前の 2004年1月25日、自分のホームページに書いたガリレオについての文章 2本からの、ほぼそのままコピペ、今回はその後篇部分。今回も時間ないことを理由に、過去の自前の文章をそのまま載せてしまう。今の自分の考えや気持ちに即して編集しようとすると、それって意外と時間がかかる作業なのだ、とこれも前回書いたこと、そのまんま東(その最近のスタンスについては全くフォローしていない、話が飛ぶなぁ、飛びます飛びますは坂上二郎)。

     

    ただし、今回は日記転載の後に、今の自分の考えについて少しだけ文章を加えた。少しだけ。俺はこの件に関しては書き出すと本来もっと長くなってしまうのだ。

     

    2004年 1月25日付。ガリレオの attitude

     

    上のガリレオ・ガリレイの話(前回のブログにほぼ転載したもの)に補足します。

     

    「ガリレオは」「聖書の記述と矛盾する地動説を支持したとして、フィレンツェでローマ法王庁異端審問所の裁判にかけられた。」と書いたことについて、クリスチャンの知人から連絡をもらいました。当時の教会の権力が(人間がコントロールした機関としての「教会」が現代と比べて社会的に大きな「権力」を持っていたのは間違いありません)、ガリレオの唱えた説を「聖書の記述と矛盾する」として異端裁判にかけたことは歴史的事実と言っていいと思いますが、聖書の内容そのものについて僕自身が詳しいわけではありません。ほんのごく一部の記述を知っているだけだし、仮に多くの記述を知っているとしても、例えばクリスチャンによる理解からすれば「知らない」ということになるでしょう。

    キリスト教と科学の関係で言えば、よく取り上げられるのは地動説と進化論だと思いますが、僕は後者の方の現状には深入りしないです。し出したら、ダーウィンからリチャード・ドーキンスやスティーヴン・ジェイ・グールドまで言及・・・するには力不足。(話は違いますが、一部の宇宙飛行士が信仰回帰するのは興味深いですね、現象としても。)

    知人のクリスチャンから連絡を受けた内容を以下の一段落に記します。上に書いたように、僕自身が聖書の記述を正確に知っているものではありませんが、信頼する人からの連絡なのでここに内容を掲載しておきたいと思います。私信のそのままの引用は避け、しかし要旨はなるべく正確に載せたいと思います。以下の一段落です。

    聖書に書かれていることは本来は地動説で、当時の教会の聖書理解が不正確だったことが、今ははっきりしている。教会もしくはクリスチャンは、時に、あるいは往々にして、そういう間違いを犯しつづけている。聖書が言っていることを正しく理解できずに、自分だけの判断で解釈し、その解釈を、神のことばだ、と主張する。ガリレオは聖書や創造主に反抗したのではなく、その当時の教会の教職者に反抗した。

    連絡いただいた内容は、信頼するクリスチャンの知人の説明としてそのまま受け入れます。ただ、ガリレオが何に反抗したのか、そのことは、今の僕には分かりません。僕の歴史的知識も不十分ですが、ましてその時期失意の底にあったであろうガリレオの心の中が分かるとは言えません。分からないことの一つは、少なくとも当時のガリレオが、時の教会権力とキリスト教、キリストの教えを明確に区別していたかどうか、ということです。それは分からないのですが、一つ言えるのは、ガリレオが政治を利用した権力であれ宗教を利用した権力であれ、おそらくは社会の大勢を動かす人間たちの「権力」に盲従するよりも、自分が真に確信するに至ったものの方を選んだ、その attitude を選び取って生きたということで、そしてそれを最後まで失わなかったのではないかと僕が想像している、ということです。

    ガリレオが生まれたのは 1564年、没したのは 1642年。ローマ法王がガリレオ「異端」裁判の誤りを公式に認めたのは 1992年です。誤った判決から既に 359年の時が流れていました。

    ちなみに、ローマ法王と言えばもちろんカソリックですが、僕らが学校で習った「宗教改革」で生まれたのがプロテスタント。クリスチャンでない僕が宗教としてのキリスト教に好感を持つことの一つは、信仰者内部のなかに新しい考え方や解釈が生まれ、変化していく力を持っているように思えるところです。それでいて、クリスチャンでない僕として、報道等で知る限り、現在のローマ法王その人には好印象を持っています(敬虔なカソリックは「好印象」なんて軽い言葉使わないだろうけど)。現ローマ法王には(以前の人は知らないし)真理を追う人の信念の強さや誠実さを感じます。社会的に論争の的になる社会問題の一つ一つに関しては個人的に意見が違うところもありそうですが、過去にカソリック教会が陥った誤り、過ちを認めることに躊躇しない人だし、とにかく姿勢 attitude の一貫性を感じます。いつだったか、朝日に掲載された加藤周一の論稿にもそんなことが書かれていて、共感を覚えたものでした。(僕が)日本の数少ない真の知識人の一人であると想う「知」の巨人に「共感」なんて言い方もダイソレテますが(笑)。

    上の日記(前回のブログにほぼ転載したもの)にも書きましたが・・・  それでも地球は回っている。 − この有名な言葉自体は後の人の創作だったらしいけれども、ガリレオはたぶん、言葉に発しなくとも、その attitude は失わなかったんじゃないか。僕はそう勝手に想像しています。

    僕には自分が確信する真理はない。I am agnostic. まぁ世界はつまるところ主観で捉える世界、そこでは こんなふうに考える 真理、真実もある。と 15年半前に自分のホームページ上でこれを書いた時にリンクを付けたのは、この前の日記、前回ブログに転載したそれと同じく、Paul Simon 作の Kathy's Song の歌詞を自分で訳したその訳詞、 キャシーの歌。 そういう意味では ある んですね。「僕の」「僕らの」世界の中には。そうして、僕は生き続けます。

     

    以上。というわけで、今回も 昔々の日記 から引いたんだけど、当時は今の自分の考え方と比べた場合、宗教としてのキリスト教に対して比較的好印象を持っていたように思う。あくまで「比較的」ということになるけれど。

     

    今の自分は当時とその点、だいぶ違う。それでも、率直に言って、「信仰者内部のなかに新しい考え方や解釈が生まれ、変化していく力を持っているように思えるところ」という側面に関しては、同じアブラハムの宗教であっても、イスラムよりもキリスト教の方が「マシ」だとは思っている。

     

    キリスト教におけるカソリックとプロテスタントとの相違は、イスラムにおけるスンニとシーアとの相違とかなり趣が異なる。スンニとシーアの違いはムスリムにとっては大きいかもしれないが、4代目のアリを認めるかとか、お祈りを1日に何回やるかとか、そういったイスラムにおける両派の違いは、非ムスリム、あるいは自分のような無神論者から見れば、単に外形的なものとしか受け止められない。

     

    他にも、この 2つのアブラハムの宗教(もちろん他に言わば第一アブラハム宗教とも言えるユダヤ教が存在するが、あれはもともと世界の民を相手にしていない「選民」思想的なものだ)には社会との関わりにおいて明らかな違いが見える。キリスト教においては、例えば中南米で軍事独裁政権に抵抗し、民主化運動に関与した「解放の神学」のようなものがあるし、また、プロテスタントにおいても、そうした類の社会への関わり方は伝統的に存在しているだろう。それに対し、イスラムはもともとの在り方が、社会全般や信者たちの生活、その共同体に直接的に決まりごと、法律などの面で深く関与するもので、20世紀後半から今世紀にかけてのそうしたものを見ても、それは社会を改革するというよりも、あくまでイスラムの教義、あるいはシャリーア(イスラム法)に基づく社会を作ろうとか守ろうといったことがその社会運動の狙いであって、言わば復古主義的なものと言える。

     

    他にもある。イスラムはキリスト教よりも厳格に偶像崇拝を禁じている為、例えばの話、人物を描くような絵画とか彫刻の類の芸術は花開かなかった。イランのエスファハーンのモスクで見た幾何学的文様、それを反復させたアラベスク、それは確かに美しいものだったけれども、彼らの偶像崇拝厳禁は芸術の発展に明らかに障害になってきたと思う。もっとも、イランで多数派を占めるイスラムの中では少数派のシーアにおいては、預言者ムハンマドを除いて人物を描くことを認めてはいるようだが。

     

    まぁそういうわけでですね、比べろと言われれば、イスラムよりキリスト教に対しての方が、無神論者としての自分として比較的好印象を持っているわけだけれども、しかし宗教は宗教だ。

     

    宗教というものは、科学的証拠に何ら基づかない概念である「神」というものを人々に信じさせ、そうして絶対的な存在となった「神」なるものを核に据えることによって、その教えに絶対不可侵の「聖」性を与え、そうすることで教えとともに指導者達に「無謬性」を与える、その結果として信者はそれに服従を余儀なくされ、また、その教えに対して細部に至るまで批判的思考を持つことが極めて困難になる、そこから、宗教以外の事象に対しても、こと自身の信ずる宗教に関係するものにはとりわけ、批判的思考がなかなか出来ないという隘路に陥る。

     

    とにかくね、宗教というものは好かんのですわ、基本的に。

     

    こうして今回も、ブログのタイトルで「ガリレオ・ガリレイ」を謳っておきながら、話はどんどん周辺事情の方に逸れていったのだった。ジャンジャン!

    ガリレオ・ガリレイ それでも地球は回っている

    • 2019.07.14 Sunday
    • 13:09

    JUGEMテーマ:宗教

    JUGEMテーマの中に「反 宗教」とか「無神論」とかないかなと思ったが、ざくっと検索してみて、ないようだった。

     

    基本的にもともと無宗教で、しかし仏教、ヒンドゥー教、イスラム、キリスト教、ユダヤ教関連の書き物をある程度読んできて、且つ世界のキリスト教圏や中東のイスラム世界、それにイスラエル、且つヒンドゥー教が多数派のインド(と言ってもあの国にはイスラムも多いし他の数々の宗教の信者も決して少なくないけれども)など旅した経験がある自分は、近年また色々と宗教について考えるところがあるんだけれども、しかし今日のところはあまり突っ込んでない。

     

    かと言って「お題」の通りにガリレオ・ガリレイが主題かというとそれが主たるテーマとも言いにくいかな。どっちつかずの内容に留まるけれども、今後も時折り「宗教」について書きたいので、JUGEMテーマは結局、「宗教」を選んだ。

     

    因みに「ガリレオ」関連でテーマを検索したら、バンド名のガリレオやテレビドラマのガリレオに因んだものばかりで、ガリレオ・ガリレイについては無かったと思う。

    とまぁ、ここまでの前置きは長かったな。残りはさらっと行ってしまう。

     

    3日前のブログに 36年前の 7月にイタリアに居た話を書いて、その中でフィレンツェに触れて、

     

    「この後のブログではガリレオ・ガリレイのことを書こうと思ってる。昔々の人ですね、1564年2月15日のフィレンツェ生まれ、そのフィレンツェで、ローマ法王庁異端審問所の宗教裁判にかけられた人。E pur si muove. / And yet it moves. それでも動く。それでも地球は動く。それでも地球は回っ ている。それでも地球は動いている。1642年1月8日に亡くなっています。現代科学の父、16世紀から17世紀を生き、結果として宗教の石頭、偏狭さと闘った人とも言える。偉大な人です」

     

    と書いた。

     

    で、今日はとりあえず、昔々、15年半前の 2004年1月25日、自分のホームページに書いたガリレオについての文章 2本のうち、最初の1本をここにほぼそのままコピペ。あらためて書きたい気もしていたけれど、いま時間がないので過去の自前の文章をそのまま載せてしまう。今の自分の考えや気持ちに即して編集しようとすると、それって意外と時間がかかる作業だからねぇ。

     

    2004年 1月25日付。それでも地球は回っている。

     

    ウソを何十回も繰り返して「本当」にしてしまおうっていう 21世紀初頭の米帝ブッシュ(いま書くならトランプ、あるいは他国アメリカ合州国の例を出すまでもなく我が日本国の総理、安倍晋三でもいいか)と違い、異端視されながらも自分が真理と確信するものを訴えた16世紀から17世紀のイタリアの人、ガリレオですね。

     

    それでも地球は回っている。

     

    それでも地球は動いているってのが直訳なのかな、後に伝記で、ガリレオが宗教裁判で「有罪」を宣告された後につぶやいた言葉とされたわけだけど、これは昨日(2004年 1月24日)の朝日の土曜版の特集で知ったんだけど、伝記作家の創作なんだってね。科学史の世界ではとうに「常識」らしい。78年間生きたガリレオはその時既に 70歳近く、教会権力から完全な屈服を余儀なくされ、それほど元気もなかっただろうってことのようです。

     

    ガリレオは(当時オランダで発明されて間もなかった)望遠鏡を改良し、コペルニクスの地動説を立証する数々の天文学上の発見をしたが、聖書の記述と矛盾する地動説を支持したとして、フィレンツェでローマ法王庁異端審問所の裁判にかけられた。結果は現代で言うところの「執行猶予」。

     

    ところが、その後に執筆した「天文対話」に愚者として登場する人物が当時の法王をモデルにして描かれたものとの噂が流れ、これが二次裁判に至るきっかけになったという。二次裁判では「有罪」。つまり「異端者」と判定されたというわけだ。

     

    その後はフィレンツェ郊外の別荘で半ば幽閉されて過ごし、さらには両眼を失明しながら、新たに「新科学対話」という書名の著書を執筆したガリレオ。

     

    それでも地球は回っている。 − この有名な言葉自体は後の人の創作だったらしいけれども、ガリレオはたぶん、言葉に発しなくとも、その attitude は失わなかったんじゃないか。

     

    自分には自分が確信する真理はない。I am agnostic ... と、これはしかし、今の自分自身の言葉で言えば、英語なら Atheist. 英語ではどんな語感なのか、やはりキリスト教圏や、あるいはイスラム教圏なら尚のこと異端者、跳ね返り者のような語感があるのかもしれないが、日本語で無神論者と言っても何か堅苦しい感じはするね。

     

    幸いにして宗教性の強いコミュニティや、ましてや神政国家に支配された国・社会で生まれ育った人間ではないから、既存宗教のいうところの「神」なるものを信じないということに関して、さしてプレッシャーもなければ、何というか、肩に力が入るような感触もない。だから、日本語で「俺は無神論者だ」と、まるでそれが一つの強固なイデオロギーであるかのように語らなくてもいいような気はしてくる。まぁしかし、訊かれれば「無神論者」、英語だと Atheist.

     

    宗教に関して自分の立場を言うなら、まずは「無宗教」、そして「無神論者」と語る語り口が実態に即してるかな。

     

    世界はつまるところ主観で捉える世界、そこでは こんなふうに考える 真理、真実もある。と 15年半前に自分のホームページ上でこれを書いた時にリンクを付けたのは、Paul Simon 作の Kathy's Song の歌詞を自分で訳したその訳詞、 キャシーの歌

     

    昔々の日記から引いたら、ガリレオのことよりも余談の方が長くなってしまった。ま、いいや、今日はこんなところで。

    1983年 7月 3日、フィレンツェにいた。

    • 2019.07.11 Thursday
    • 15:26

    JUGEMテーマ:イタリア

    36年前、1983年 7月初旬、僕はイタリアにいた。とりあえず、まずは一昨日のブログからそのままコピペ。同年 4月26日に横浜港で船に乗り、バックパック一つで日本を発って、当時のソ連、今のロシアのナホトカに渡った。2泊3日の船旅だった。その後、鉄道でハバロフスクに移動、ハバロフスク、イルクーツクに 1泊ずつ泊りながらシベリア鉄道の計7泊8日の旅でモスクワに着いて、同地に確か 2泊、それから先は、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、ドイツ(当時の西ベルリンを含む西ドイツと東ドイツ側の東ベルリン)、そしてフランス、スイス、当時のユーゴスラビア(現在のセルビアの首都ベオグラード)、更にオーストリア(ウィーン)を旅してから、イタリアに入った。手元にある写真を見ると 6月30日にウィーンで撮った写真があり、その次は 7月1日のヴェネチアでの写真になる。イタリアでは、ヴェネチアの他は、フィレンツェ、ローマに滞在し、その後、長らく火山灰に埋もれていた古代ローマの都市ポンペイの遺跡、更にナポリを訪れた。 Facebook 上のアルバム

     

    7月3日はフィレンツェにいた。フィレンツは英語で言うところの Amazing って感じだろうか。博物館があるというより、街全体が博物館といったレベル。美しい街だった。

     

    思い出話を少し書きたい気もするけれど、フィレンツェつながりで、この後のブログではガリレオ・ガリレイのことを書こうと思ってる。昔々の人ですね、1564年2月15日のフィレンツェ生まれ、そのフィレンツェで、ローマ法王庁異端審問所の宗教裁判にかけられた人。E pur si muove. / And yet it moves. それでも動く。それでも地球は動く。それでも地球は回っている。それでも地球は動いている。1642年1月8日に亡くなっています。現代科学の父、16世紀から17世紀を生き、結果として宗教の石頭、偏狭さと闘った人とも言える。偉大な人です。

    フィレンツェ駅だったかな、これは。フィレンツェは街全体が博物館フィレンツェは街そのものが博物館

    36年前の今日、22歳、イタリアのナポリにいた。

    • 2019.07.09 Tuesday
    • 19:05

    JUGEMテーマ:イタリア

    36年前、1983年 7月初旬、僕はイタリアにいた。

     

    同年 4月26日に横浜港で船に乗り、バックパック一つで日本を発って、当時のソ連、今のロシアのナホトカに渡った。2泊3日の船旅だった。その後、鉄道でハバロフスクに移動、ハバロフスク、イルクーツクに 1泊ずつ泊りながらシベリア鉄道の計7泊8日の旅でモスクワに着いて、同地に確か 2泊、それから先は、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、ドイツ(当時の西ベルリンを含む西ドイツと東ドイツ側の東ベルリン)、そしてフランス、スイス、当時のユーゴスラビア(現在のセルビアの首都ベオグラード)、更にオーストリア(ウィーン)を旅してから、イタリアに入った。

     

    手元にある写真を見ると 6月30日にウィーンで撮った写真があり、その次は 7月1日のヴェネチアでの写真になる。イタリアでは、ヴェネチアの他は、フィレンツェ、ローマに滞在し、その後、長らく火山灰に埋もれていた古代ローマの都市ポンペイの遺跡、更にナポリを訪れた。 Facebook 上のアルバム

     

    36年前の今日、1983年 7月9日はナポリにいた。ヨーロッパでも安い宿を見つけることはそう難しいことではなく、しかしナポリを含む 2, 3箇所ではたまたまユースホステルに泊ることになった。この後に向かったギリシャの他、トルコ、シリア、ヨルダン、パレスチナとイスラエル、エジプト、イランなどの中近東、またパキスタン、インド、タイ、韓国では更に楽に安宿を見つけることができ、ユースホステルに泊ることはなかった。別にユースホステルは嫌いじゃないし、このナポリのユースもフロントの人の雰囲気をはじめ、楽しいところだったけれど。

     

    写真はその時に出会った 2人の日本人バックパッカーと一緒にユースホステル前で撮ったもの。中央が僕、左端の彼は写真に映っている自転車で、ヨーロッパ各国を旅していた。

     

    36年前の今日、僕は 22歳。若かったね。超絶久しぶりにブログを書いてみたが、明日以降、気が向いたら、イタリアに絡めた何がしかを書いてみようと思う。さて、気が向くかな(笑)。

    Strawberry Fields Forever 和訳

    • 2018.05.12 Saturday
    • 12:08

    JUGEMテーマ:The Beatles

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    あれから早、8カ月と1週間

    • 2018.05.08 Tuesday
    • 17:33

    2017年9月1日にブログを始めてみたというのに、その後、何も更新しないままに日々が過ぎ、今日はあれから8カ月と1週間。光陰矢の如しというか、Time flies というか、Time hurries on というか。

    この間、Facebook ばかりやって、せっかく思いたって始めたブログを全く進めてなかった。できれば明日、何かコンテンツらしいものを。

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    Carpe-Diem 911 ブログ始動

    • 2017.09.01 Friday
    • 23:45

    JUGEMテーマ:お知らせ

    とりあえず、本日、2017年9月1日、ここ JUGEM ー 寿限無寿限無、五劫のすり切れ、海砂利水魚の水行末、雲行末、風来末、食う寝る所に住む所、やぶら小路ぶら小路、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助 ー にて、Carpe-Diem 911 ブログを始動する。 

     

    Website http://dailyrock.konjiki.jp

     

    Facebook https://www.facebook.com/tsuyoshi.yamamoto.313

    Facebook page https://www.facebook.com/JokeMUSICLoveLIFE/

     

    Carpe diem. Memento Mori. Carpe diem. #PEACE